魔女の宅急便「ウルスラから解く!」宮崎駿監督の才能の話

更新日 2020-10-16 | posted in: デザイン, ブランディング, 好きなもの

ウルスラ 魔女の宅急便

最近、車の中で子供たちが『魔女の宅急便』を延々とリピートしています。

「スタジオジブリに就職したい」
「宮崎駿監督が言うには…」

わたし自身、去年受けたインタビューの中でも「宮崎駿監督が語る個性というのは…」という話を例に挙げて話しました。

とにかくジブリ作品(というか宮崎駿監督の生き方)が好きです。ストーリーは とても奥が深くて難しかったりするので内容や意味を はき違えていることもよくありますが。とにかく「描写と表現の仕方」が「絶対的に敵わない!」この悔しさ。
なので「スタジオジブリに就職したい」というのは永遠の夢でもあります。

影響を受けた人物

鳥山明
高橋留美子
宮崎駿
松本大洋

鉄コン筋クリート

今回は「絵を描く」に特化して挙げさせてもらいました。
今はデザインやイラストのお仕事をさせていただいていますが、小学生の時の夢は漫画家でした。
教科書の隅に落書きばかりしていたので、中学になって美術の先生に勧められて絵ばかり描ける高校へ進学しました。

前置きが長くなりましたが
タイトルにもある『魔女の宅急便』
わたしはあるシーンになると涙が溢れて溢れて止まらなくなります。
これは大人になって今になって、自分の中にある「そういう感情」に気づいたのです。

小学校の頃、リアルタイムで見ていたときは とにかく飛べなくなってしまったキキのことが心配で、この絵描きのお姉さん『ウルスラ』の言葉など特に気にも留めていませんでした。
幼少期、言葉として頭に残っていたのは「魔女の血、絵描きの血」くらいでしょうか…

魔女の宅急便のウルスラのセリフが心に響きまくる

空を飛べなくなって伏せっていたキキがウルスラの小屋を訪れます。あの時の二人の会話を思い出してみてください。

ウルスラ「魔法も絵も似てるんだね 私もよく描けなくなるよ」

キキ「ほんと!? そういう時どうするの? 私 前は何も考えなくても飛べたの。でも今は分からなくなっちゃった」

ウルスラ「そういう時はジタバタするしかないよ。描いて 描いて 描きまくる!」

キキ「でも やっぱり飛べなかったら?」

ウルスラ「描くのをやめる。散歩したり、景色を見たり、昼寝したり、何もしない。そのうちに急に描きたくなるんだよ」

– 引用 –

長男が高熱を出し、夕方病院へ向かう車内にて。長男はこのシーンを2回巻き戻して見ていました。

私もこのシーンがすごく好きで、運転しながら涙が止まらなくて何故だか凄く泣けました。

「描いて描いて描きまくる!それでもダメなら描くのをやめる!」

なんだろう…
思春期の頃の自分とダブるのかもしれません。

模写・模写・模写の毎日

小学生時代

小学校の頃は とにかく鳥山明先生のドラゴンボールのキャラクターを どれだけ上手く描けるか!そればかり考えていました。
事の動機は「悟空が上手く描けるとクラスの人気者になれる」というのもあったのですが。
「かめはめ波」が出て来る時のスピード感のある動的な描写や、筋肉の描き方、傷や血の出方。鳥山明先生の場合、特に面白かったのは「メカ」の描き方!
とにかく、ずっとドラゴンボールのイラストばかり描いていました。
でも、このことによって小学生ながらに「人間の身体の作り」というのを凄く学べたと思います。

中学校時代

中学生になって「オリジナル」という言葉が漫画友達の間で流行って「自分らしい絵が描ける人が本当に絵が上手い人」みたいなことになり、試行錯誤していた頃もありました。なんとなくですが、ドラゴンボールを自分なりにアレンジして描くことができてきた頃。
美術科の高校受験のため、ここで一時期、漫画を離れ「基礎デッサン」を放課後毎日、美術の先生から学んでいました。

ステッドラー

高校時代

高校での授業は更にひたすらデッサンの日々。
授業の半分以上が美術だったので、遊びの絵など描く暇もなく、中学時代からの漫画大好き友達とも離れてしまったのもあり、漫画は中断。「漫画家になりたかった」とか「オリジナリティのある絵を描く」という感覚も薄れてきて、つまらないデッサンを嫌々やっていました。石膏デッサンは本当に大嫌いで、今でも「ラボルト」と「ブルータス」を見ると吐き気がします(苦笑)

専門時代

デザイン系の専門学校へ進んだ時、たまたま隣の席になった男の子が言った一言が
「俺はスタジオジブリに就職したいんだよ」
だったんです。

その後、彼とは学校の大きな課題で一緒になり、「集合住宅の模型」を作らなくてはならなくなって(当時の専攻はスペースデザイン)10人くらいのグループで一緒になりました。学校の授業内では終わらなくて唯一一人暮らしをしていた彼の家にみんなで集合。

ここで衝撃的なものを目にしました!
『天空の城ラピュタ』に出てくるドーラ率いる海賊が乗っている飛行船「タイガーモス号」の模型です。

設計図から自分で起こしたようで、銅板を細く裁断し、溶接。ミニチュアのタイガーモス号。気が遠くなるほどの細かい作業に圧倒され、これもまた悔しいけどわたしには到底できない!今でも鮮明に記憶に残っています。

余談ですが専門学生の時には杉田玄白の『解体新書』の模写がありました(苦笑)
骨とか人間の内臓の断面とかの完全模写。正直「わたし何をやってるんだろう…」と思っていましたが、今思えば、これは凄いことだな!と当時の先生にお礼を言いたいです。
これがあったからこそ、骨のつなぎ目、骨の上に付く筋肉、筋肉の上に乗る脂肪などなど。結果として人間の身体の作りを芯の部分から叩き込まれたということになりました。

今更だけど宮崎作品を見まくる

改めて「宮崎作品の凄さ」に気付ける年頃になった頃、子供の頃に見た その時の感覚とは また別の感覚でものを見れるようになりました。
そして『ドラゴンボール』とは また違った魅力。(もちろん鳥山先生も大好きですよ!)
2000年以降ですが『「もののけ姫」はこうして生まれた』を見てから、特に意識が変わりました。終始泣きっぱなしでした。感動が大半ですが「わたしもこんな風に描けたら、こんな仕事に関われたら」という、できない自分に対する劣等感に似た感情でした。とにかく全てにおいて。どれだけ絵が上手かろうと自分は 足元にも及ばないのだと。

天空の城ラピュタ

わたしには才能がない

残念ながらわたしには「才能」がありません…
反抗期の頃、個性派ぶって「自分は特別だ!」と主張するわたしに対して父が放った一言。

「お前は凡人だ。他の誰とも変わりない。」

当時、もの凄く反論したのを今でも良く覚えています。これこそ「個性」や「才能」の意味を完全に履き違えていた若き日のわたしです。社会に出てみて初めて「うん…わたしもここまでか」と痛感した時のことも良く覚えています。

本題に戻りますが「才能」の話。

ウルスラ「魔法って 呪文を唱えるんじゃないんだ」

キキ「うん、血で飛ぶんだって」

ウルスラ「魔女の血か、いいね。私そういうの好きよ。魔女の血、絵描きの血、パン職人の血。神さまか誰かがくれた力なんだよね。おかげで苦労もするけどさ」

– 引用 –

ここです。ここのウルスラの言葉。

『神さまか誰かがくれた力なんだよね。』

絵を描くのも、魔法を使うのも、自分に与えられた才能なのだと。難しく考える必要はまったく無く、空を飛ぶのも、絵を書くのも同じ。無意識のうちに発揮されている才能なのだと。「血」というのは「生まれ持った才能」という意味なのでしょうね。

「あたしさ、キキくらいのときに絵描きになろうって決めたの。絵描くの楽しくてさ。寝るのが惜しいくらいだったんだよ。それがね、ある日全然描けなくなっちゃった。描いても描いても気に入らないの。それまでの絵が誰かのマネだってわかったんだよ。どこかで見たことあるってね。自分の絵を描かなきゃって」

– 引用 –

もう、この言葉もグサグサと突き刺さります。「スランプ」という言葉があるけれど、それだけじゃ済まされない何かが。「スランプ=描けない」じゃ無くてわたし的には「自分がなんだかわからない」という表現の方が近い。「血=生まれ持った才能」があっても無意識のままでは成長できなくなる時期がきて、無意識から「意識的」なものに変えていかないといけない時があるんじゃないかと。

「ゼロから1にすること」は容易な事ではありません。むしろ、もうゼロから1にすることなんて全ては世に出尽くしていて無理なんじゃないかと思っています。

ウルスラが「誰かの真似だった」と言っているけど、真似して真似して基礎や土台があるからこそ、その上に「2」を肉付けする事ができて「自分らしく」表現することが出来るようになる。ドラゴンボールのベジータをそっくりに、そしてめちゃくちゃカッコ良く描く!石膏像を吐き気がするほど描く。模写・模写・模写な毎日は絶対に無駄ではないし、何かを始める時って むしろ誰かの真似をするところから始まるんじゃないかな。

デザイン最前線から離れる

ある時、絵を描いたり、何かを考えてカタチにすることが辛くなってデザイン事務所を辞めました。
派遣会社に登録して一般事務の仕事に就きました。

その結果

10日ほどで退職しました(笑)

デザインから離れている時間。単純作業は元々嫌いではないので、最初のうちは頭を使わない仕事が本当に楽でした。開放感でいっぱいでした。

でも何日か過ぎた頃「わたしは何をしているんだろう?」と自分に問う時間が増えてきました。

幼少期から好きで描いてきた絵。誰よりも絵が上手くなりたいと、ひたすら好きな漫画家の真似をしていた日々。夢を抱いて就職したデザイン事務所。わたしには「ものを創る」ことが生き甲斐であったこと。それをしていない自分は「何者でもない」と思えてきました。

もう最後の方は なんだかよくわからなくなって職場から泣いて帰ってきました。

わたしが わたしで なくなる

そう思えて。
創ることをやめた自分には何も残らない気がして。存在価値すらわからなくなりました。

きっと実際は全くそんなことはないのだけど。
別に何もしていなくても わたしは わたし なのですけどね。

ウルスラが言っていた
「描くのをやめる。散歩したり、景色を見たり、昼寝したり、何もしない。そのうちに急に描きたくなるんだよ」

ウルスラの言う通り。
わたしの涙の理由は、自分の存在価値がわからなくなった時、またデザインの現場に戻りたいと思い「ものを創る」ことで「自分を取り戻すことができた」っていう この事実なんですね。

宮崎駿監督の才能の話

以下、引用です。

・才能はたいていの人が持っているんだけど、才能のあるなしじゃなくて、それを発揮するエネルギーがあるかどうか。

・自分の才能を見極めるっていうのは一番恐ろしいことですから、辛い時もある。

・自分がそれを好きか嫌いかってこと以外に、自分がそれをできるか、できないかってことを見極める必要がある。

・才能とは、情熱を持続させる能力のこと。

– 引用 –

上でも記述したように、わたしには才能はありません。
宮崎監督の言葉を借りれば「皆が才能を持っている」とのことですが残念なことに わたしには「絵描きの血」も通っていませんし、デザインの神様に守られているわけでもありません。

ただ「努力」だけはしました。無意識に。今思えば…努力はしてたなぁと感じる程度の「無意識」な行為です。
「好きなことを好きでい続ける情熱」もありました。

魔女の宅急便

月並みですが

「好きこそ物の上手なれ」
「継続は力なり」

わたしが沈没しても浮上できたのは 好きなもの、今できることを続けてきた。ただそれだけです。

「絵を描くことを仕事にしたい」そう思い「意識的」に動き出してから30年以上経ちました。人生の半分以上この業界にいて今ようやく必要不必要の見極めが出来てきたのかなと思っているところです。

基本があるから応用が効く。詰め込んできたから余計な荷物は捨てられる。

大人になってから改めて響く『魔女の宅急便』ウルスラの言葉。いつかわたしにも「芸術の血だったのか!」と実感できる日が来ることを願っています。

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